2015年12月22日火曜日

「見放されてきたり、突き放されてきた人がいっぱいここにきて、ここに居場所がある」
北星学園余市高等学校 遠山孝佑(高3)さんのインタビュー

なんで北星余市にきたのかな?

遠山 ここに来る前、現場の仕事をしながら、高校に通ってました。北星余市に入学するきっかけは、親から北星余市に行くように言われたんです。
地元で警察沙汰になって1年間少年院に入ってたツレがおったんですけど、そいつが出て帰ってきました。「久しぶり!」ってことで遊んでたんですね、しばらく。僕は、年明けの冬で現場の仕事もなく、学校もいかずに遊んでいたんですけど、そうしたら親から「仕事にも学校にもいかん。ツレが帰ってきたら、前のおまえになっている。ツレのこと、警察に通報する」とかなんとかいわれて、それで親ともめました。ツレは少年院から出てすぐなので、保護観察が付いているわけで、警察に連絡がいくと困ると思ったんです。そんな中「それがいやだったら、北星余市にいけ」とか言われて、しばらく親の言うことを聞かなかったんですけど、このままだったらツレに迷惑をかけるかもしれないし、俺が北星余市に行ったら丸くおさまるんだろうな、、、と思って、北星余市にきました。



なんか、壮絶なストーリーのように聞こえるね。実際に、それで学校にきたら困らなかったの?来たくもない学校にきたってことだよね。

遠山 最初にここにきたときには、自分の中で鑑別所に入っているようなものだと思って来たんです。島流しってやつですかね。ツレが少年院に戻る代わりに、自分が北星余市にきたと思っていました。携帯もあるし、テレビもあるし、自由がある鑑別所だと思うようにしたら、楽ですしね。あと、県を出て住むことにも抵抗はなかったです。ですから、最初は学校の子達と仲良くなるつもりはまったくなかったですね。


僕は2年生から入ってきたんですけど、入って半年、9月頃からようやく友人が出来始めた。自分は人の目を気にしないので、それまで友達がいなくても気にはならなかった。嫌われてもいいなと思っていたし。でも、それは生徒会執行部をやるようになって、変わっていきました。こっちでも、大事なものがいろいろとできて、仲間とか、後輩とか、そういうものができて、これも大事やと思うようになってきたんです。「こいつら、俺と関わってくれとる」と思ったら、しっかりしようと思って、今は大事にしていきたい人たちばかりだと思っています。



ここにきて一番大変だったことは?

生徒会活動が一番大変でしたね。一番楽しかったことも生徒会なんですが、大変だったのも生徒会。お互いに意見を言い合うじゃないですか。政治でも右翼とか左翼とかあるように、全然考え方が違う。自分は関係ないっていう人もいるし、何が正解っていうのはないけど、できるかぎり当たっているものを選びたいので、意見を合わせていこうとする。それが大変でしたね。なかなか、自分の意見を曲げない人もいるので。自分は中間の役目、間をとりもつ役目だった。裏方というか、副会長っていう役職だったんですが、そういう役割だったと思います。

そして、楽しかったのも生徒会。試行錯誤の末にできたこと、それの成果というか、やってよかったとか、何人かからありがとうとか「よかったよ」って言ってもらえたり、そういう周りの声をきけたのがすごく嬉しかった。



北星余市って一言で表すとどんなところだと思う?

遠山 やさしさがある、バカなところ、自分勝手なところ、思いやりがある。そんなイメージですかね。あ、でも今話していてわかったんですが「居場所がある」がぴったりな言葉ですね。見放されてきたり、突き放されてきた人がいっぱいここにきて、ここに居場所がある。そういう人たちの居場所ですかね。

最後に、入学する人に伝えたいことってあるかな?

遠山 「戦え」ってことですかね、いろんなものと戦えってこと。特に県外の人だったら地元から離れるので、自分自身と戦わないといけない。「なんでこんなところ来たんだろう」と思うことがきっとあると思うんです。自分は「助け合い」って言う言葉が当初嫌いだったんですけど、下宿生活なんで、そういうことも必要になってくる。人と関わることが多くて、ひとりになる時間も少ない。その中で自分の戦いができる場所。教師とも、親とも、自分とも戦う場所なんです。逃げんなよってことですかね。

このエントリーをはてなブックマークに追加
 
Copyright © 2010 北星余市は今 @HokuseiYoichi. All rights reserved.
Blogger Template by